社交

2013年12月9日 9:32 AM

本日は社交について話したいと思います。
社交の定義は『人と人とのつきあい。世間での交際』です。

社交が上手な人のことを社交家といいます。
より正確に言えば『人とのつきあいが広く積極的で上手な人』のことです。

更には社交界という言葉があります。
上流階級または著名な人々が集まって交際する社会のことです。

自分が社交的であると自分で思っている人は少ないでしょう。
私も先日とある会合で『社長より奥さんの方が社交的だ』と言われました。
そこで私なりに社交的とはどういうことか考えてみました。

断っておきますが、社交家が立派でそうでない人がよろしくないということ
ではありません。
しかし社交が上手いに越した事はありません。

私が考える社交下手とは、
好き嫌いが激しい。
いつも不機嫌な顔をしている。
組織に文句を言う。
組織を引っ掻き回す。
他人の事より自分の事を考える。

芸術家には社交下手が多いように思います。

一方社交的とはどういうことでしょう?
好き嫌いを顔に出さず人の選り好みをしない。
いつも笑顔が絶えない。
人の悪口を言わない。
組織を盛り上げて行く。
その人が来ると場が明るくなる。

要するに社交下手の反対です。
私が所属しているロータリークラブやライオンズクラブは『社交的であれ・紳士的
であれ』と掲げています。

営業担当はもちろん、技術社員も社交的である方が良いでしょう。
社交的とは口が上手いことではありません。
営業でいえば分け隔てなくお客様に接することです。
自分の商品を売り込むことに一生懸命になる。
商品をお客様に提供することを一番大事にする。
『自分が自分が』とならないこと。

社交的ということを以上の様に定義すれば大概の人は社交的ではないでしょう。

社交的ということの根底には人類愛があるのだと私は思います。
社会の為。人類の為。組織の為。
京セラの稲盛氏の仰る『利他の心』です。
これは他人を利する心を持った経営者が成功するという経営哲学です。
そういうことが社交に繋がって行くのではないでしょうか。

私などまだまだ至らないので反省しきりです。
自身に欠けているものを自分なりに考えています。

人間はなにも聖人君子になることはありません。
しかし利己的なことばかり考えていてはいずれ破綻します。

まずは人を楽しませることを大切にして頂きたいと思います。
他人様に喜んで頂くには笑顔の方が良いに決まっています。
ぶすっとしていては周囲は不愉快です。

我が社は12月から新年度です。
社員には気持ちを新たに笑顔で日々を過ごして頂きたいと思っています。

円熟

2013年11月18日 9:34 AM

本日は円熟について話したいと思います。
円熟とは『人格・知識・技術などが円満に発達し、豊かな内容をもっていること』です。
『円熟した人』とか『円熟の域に達する』の様に使います。

字をばらせば、円は『欠けたところが無いこと』の意であり満足するということです。
熟とは『熟する』。
つまり満足で熟しているというのが円熟と考えれば良いのではないでしょうか。

その反対が未熟。
未だ熟していないということです。

多くの若者は未熟です。
80代の人から見れば60代は未熟です。60代から見れば40代は未熟。
人間は所詮未熟者です。
しかし私の好きな孔子は『70歳になったら自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった』と
説いています。

私も65歳になり若い頃と比べれば物事を冷静に客観的に考えられるようになってきたように思います。
問題の本質・原因は何かと思い至るようになりました。
未熟ではありますが多少円熟に近づいているということなのかと思います。

アベノミクスで来年は給与が上がると言っていますが実際上がる会社がどれだけあるかは判りません。
我が社も予算を組んでいますが給与を上げる為には売上を伸ばす必要があります。
しかしその為には技術社員が技術力を上げる必要があります。
つまり社員1人1人が円熟する必要があるということです。

物事を極めて行くと円熟ということになります。
東海バネ工業という会社があります。
1934年設立で本社は大阪。 連続71期増収増益なのだそうです。
こんなに素晴らしい中小企業があるのかと思います。

その会社の社長さんが次のように仰いました。
『事業で差別化し得るのは唯一人財のみだ。』と。
技術とは言っていません。
もちろん技術は大事なのでしょうが技術とは人です。
私もそう思います。
人なのです。
人がその会社の理念とか考え方を理解し成長して行くかが問題です。
我が社の技術は他社の技術とどこが違うのか。
更にその社長さんは『経営とはやること、やらないことを決めることだ。』と仰っています。

大企業よりこうした中小企業で働く方が幸せなのかも知れません。
我々も他人様から『良い会社だね』と言われるようになりたいものです。

来期に向け我が社の社員1人1人が今一度我が社の経営理念・行動指針を理解し自身の成長について考えて
頂きたいと思います。

優先順位

2013年11月11日 10:53 AM

本日は優先順位について改めて話したいと思います。

12月より我が社の15期がスタートします。
日経ビジネスによると、かつては企業の寿命は30年と言われましたが昨今は18年だそうです。

企業を取り巻く環境は様変わりしておりここ数年はSNSやソーシャルゲーム会社が 急成長して
います。
例えばグリーは創業は7年前。2、3年で売上数百億円に成長しました。
来年は満を持してLINEが上場します。

反対に不振に陥る企業も出てきます。
かつてブラックベリーはアメリカの携帯電話で1位でしたが今や売値がつきません。
世界1位2位だった携帯電話会社がタブレットにより終焉を迎えました。
しかし取って代わったアップルやサムスンの好調がいつまで続くかも分かりません。
経営者は皆危機感を持っています。

企業の目的は企業を永続させること。
これが創業者の使命です。
我が社は来期で15期。 潰しては元も子もありません。
長年社員として関わった方やその家族にも迷惑をかけてしまいます。

企業が存続する為には成長し続けなければなりません。
昔の様に一度ブランドを創れば安泰ということはなくなりました。

良い会社とは何でしょうか。
規模が大きければ良いのでしょうか。
規模が大きいことは立派だとは思いますが、大きさと社員の幸せは必ずしも一致しません。

私が思うに幸せとは能力に見合った仕事を与えられることです。
職業に貴賤はありません。

大会社の社員だから偉い訳ではありません。
偉い人とは優先順位が出来ている人です。
年齢や性別は関係ありません。

優先順位1位の仕事とは最も困難な仕事です。
それに挑戦して成果が出る人が偉いのです。

皆様にも是非来年の優先順位1位-挑戦目標を決めて頂きたいと思います。
もちろん組織の優先業務や定例業務はあるでしょう。
しかしそれが個人の優先順位1位なのかはよく上司の方と検討して頂きたいと思います。
組織にとって『これは中長期的に利益になる』ということを上司の方と見つけて頂きたいのです。

受験など、人生においては『挑戦したが上手く行かなかった』ということは多くあります。
しかし困難なことに挑戦せずして人間の進歩はありません。
挑戦すれば、それが上手く行っても行かなくても、その先には成長があります。

創業から15年。我が社に欠けていることは未だ多くあります。
それをどうして行くかを各部門で考えています。

私はノルマは重視していません。
成果は優先順位を定め一生懸命やれば出て来るものです。

人が成長して行く為には生き甲斐を持ち目標を達成することが重要です。
我が社の社員には来期のスタートに向けしっかりと考えて頂きたいと思います。
皆様も来年に向けこうしたことを一考してみてはいかがでしょうか。

奉仕

2013年10月21日 9:29 AM

本日は奉仕について話したいと思います。

奉仕は英語では service。
奉仕の定義は幾つかあります。
1つは神仏・主君・師などに慎んで仕えること。
熟語の語源はキリスト教や仏教に繋がっていることが多い。

2つは利害を離れて国家や社会などのために尽くすこと。
一般的にいう奉仕とはこの意です。

3つは商人が品物を安く売ること。
小売店等では安売りの品を『奉仕品』と記載しています。

奉仕を深く突き詰めると、『報酬を求めず、他の見返りを求めるものでもなく、私利私欲を捨てた
労働を行うこと』となります。
ボランティアです。

私はロータリークラブに入会しています。
ロータリークラブの一番の目的は企業家として社会奉仕をすることです。
会員の多くは個人的にも寄付という社会奉仕を行っています。

弱者に対する奉仕を考えられるのは何らか安定を得た人でしょう。
もちろん貧しくてもそういうことを考えられる人も居れば、安定していても考えられない人もいます。

奉仕とは額の多少ではなく無私の心です。
人は若い時は自己中心主義にならざるを得ませんが歳を重ねる毎に変わって行きます。

成功している企業人の多くは奉仕の気持ちを持っている人が多いものです。
50代までは働き盛り。企業にとことん尽くします。
60代になると企業だけでなく業界団体の為に尽くします。
70代になると社会や国家の為に尽くします。
ここまで出来る人はかなりスケールが大きいといえましょう。

皆様も奉仕ということについて考えてみて頂きたいと思います。
ご自身が所属する組織に対しては奉仕というよりも組織の発展に研鑽して頂きたいと思います。

幸せ

2013年10月15日 9:49 AM

本日は幸せについて話したいと思います。
皆様大なり小なり幸せは常日頃から感じていることと思います。

幸せの定義の1つに『現状に満足しもうこれ以上の上を目指さなくなること』と いうものがあります。

例えばお金が無くても高価な食事を食べられなくても現状に満足していれば幸福。
反対に現状に満足していなければ、お金が有っても高価な食事が食べられても不幸。

幸不幸は自分次第で大きく変わる。
それはそうでしょう。

ところで幸せとは一体何でしょうか?
上が無いのは本当に幸せなことでしょうか?

幸不幸という概念は自身の過去と今とを比較しているだけの主観に過ぎません。
衣食住が足りていればそれで幸せという人もいます。
美味しいものを食べてゲームが出来たら幸せという人もいます。

私は目標に執着しそれをやり遂げることが満足であり幸せです。

私は現状に満足することが少ないタイプです。
しかし自分が不幸だとは思いません。

『自分はこう在りたい』『こういう人になりたい』という目標を叶えられると 人は幸せになれると
私は思います。

幸せは現状に慣れてしまえば感じなくなります。
全世界規模で考えれば日本に生まれたことは幸せと言えるでしょう。
しかしそれを実感している人がどれだけいるでしょうか?

私は15年前に会社をマンションの一室で立ち上げた時は非常に貧乏でした。
その時と比べれば今は幸せです。
しかし満たされてるとつまらないということもあります。
人間とはまことに愚かなものです。

反対に『過去は良かった』と過去を懐かしんでばかりでも宜しくありません。
この世のものは全て変化して行くから物事に執着すると苦が生じます。
例えば『美味しいものを食べたい』と思う人はそれが出来ないと苦しいでしょう。

仏教では『この世は苦である』と説いています。
『人生とは元々思い通りに行かないものだ』と自分の中の基準を下げると幸せ が見えることもあります。

不幸になるのは何かに執着しているからかも知れません。
あるいは幸せの基準が高過ぎるからかも知れません。

51歳で起業した時、不幸とか幸福とか考える余裕などはありませんでした。
だから幸不幸を論ずることができるのは幸福なのでしょう。

精神的充実は仕事で得られます。
なぜなら1日の大半が仕事に関係しているからです。
だから仕事の遣り甲斐があることが幸せになるのです。

皆様も自身の幸せとは何かこれを機に一度考えてみて頂ければと思います。

試練

2013年10月7日 9:36 AM

本日は試練について話したいと思います。

試練とはキリスト教に根差した言葉で、定義は『信仰・決心のかたさや実力などを厳しく 試すこと。
また、その時に受ける苦難。』です。
試練から逃げると後からより大変な苦難が来るから逃げてはいけません。
反対に試練に立ち向かえばその後は良い展開が待っています。

人生には必ず試練があります。
人はそれを好んではいません。
むしろ可能であれば避けたいと思っている人が殆どでしょう。

私にとっての大きな試練は51歳の時に突然役員を解任されたことです。
また私はその前にも左遷を経験しました。
大袈裟に言えば天が与えた試練。或いはその人が背負った宿命・運命。
そういう試練を乗り越えて現在があるのです。

試練を仕事に関することに限定して考えてみましょう。
我々は多くの時間を会社で過ごしています。
また仕事の為に通勤時間も費やしています。
従って仕事の試練は多くありますが、特にリーダーになったときには大きな試練が 訪れます。

あなたは自身の上司をどう思っているでしょう。
信用しているでしょうか。
部下がリーダーを信用していない組織は不幸です。

リーダーは組織が間違った方向に行きそうになったら正さねばなりませんし、 組織が負けたら責任を
取らねばなりません。
野球でもサッカーでも負けたらそれは監督の責任になります。

リーダー1人で大きな仕事が出来るかといえばそれは有り得ません。
仕事は部下、そしてお客様の協力を得て達成して行くものです。

従って試練から逃げる人にはリーダーの資格がありません。
何かまずいことが起こったら『責任者は私です』と言える勇気を持つ。
それがリーダーです。

リーダーは自分以外のことにも責任を負います。
自分の問題のみ解決すれば良いのではありません。
部下という存在をどうにかするのがリーダーです。

生きていれば試練は必ず来ます。
積極的に仕事を行えば未熟故に上手く行かないことが出ます。
それを執念や努力で何とか克服することが大切です。
それから逃げれば親や他人の所為にする人間になってしまいます。

この世の中何があるか分かりませんが、命さえ取られなければ何でも取り返せます。
命ある限り試練から逃げずに頑張って頂きたいと思います。

ストレス

2013年9月30日 9:36 AM

本日はストレスについて話したいと思います。

ストレスの定義は『生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態』で
元々は材料力学上の言葉です。 例えば鉛の棒を両端から押すと『く』の字に曲がる。
これをカナダのハンス・セリエ博士が人間の心理的状態を表す言葉としました。

ストレスの原因はストレッサ―という外的刺激です。

物理的ストレッサー。
寒さや騒音、或いは放射能などです。

化学的ストレッサー。
酸素不足や薬物などです。

生物的ストレッサー。
炎症や感染などです。

心理的ストレッサー。
怒りや不安。一般的にストレスとはこの心理的ストレスを指すことが多いです。

我々は常日頃ストレスを感じていますが心理的なストレスは仲間と話し合うことで
解消 される場合があります。
悩みを聞いてもらい苦しみを分かち合うことでストレスを和らげることが出来ます。

ストレスを感じ易い人は『こうしたら相手が怒るのではないか』というようなこと
ばかり 考えています。或いは良い人を演じたり賢い人間であろうとします。

例えば金メダリスト。
世間から人間的にも高潔であることを要求されその通りに在ろうとし、ストレス過多に
陥りがちになります。

人間に嫌な心理的圧力を加えると自律神経の交感神経と副交感神経のバランスが崩れ、
結果的に血圧を上げてしまったり血糖値を上げてしまったりします。

しかし全くストレスが無いことは有り得ません。
良いストレス、適度なストレスが無いと良い仕事は出来ません。
ストレスは辛いことですが。

小説家、プロ野球選手、オリンピック選手等々。
皆重圧を感じながら仕事をしています。

我が社の行動指針の一つである『優先順位1、2、3』。
優先順位1位の仕事とは『最も重要で困難な仕事』である筈です。
1人では出来ない程困難な仕事だから協力者を必要とするのです。
そこの定義が濃くないから優先順位がおかしくなる。

ストレスが無い人は優先順位1位の仕事が無い人か、優先順位1位が間違っているのです。

あなたの優先順位1位は何でしょうか。
是非上司と共に考えて欲しいものです。
そして良い仕事をして頂きたいと思います。

自制心

2013年9月24日 10:46 AM

本日は自制心について話したいと思います。
自制心とは『自分自身の感情や欲望などをうまく抑えたりコントロールしたりする気持ちや精神力の
こと』です。
英語で言うと『self-control』。
また自制心を失うことを『lose self-control』といいます。

刹那的な欲望に流されるのではなくより賢いものを選ぶよう自分をモチベートすることが大事です。

自制心を養うにはどうすれば良いか。
ここで『5つのコツ』というものを紹介したいと思います。

1つ目は訓練。
自制心は訓練しないと養えません。
例えばテレビ。或いはパソコンやスマートフォン等の暇さえあれば見てしまう所謂『中毒』になって
いること。
これをまず1週間止めてみる。
それを1ヶ月続けられたら習慣が変わります。
しかし悪癖は中々治らないものです。

2つ目は気を紛らわすこと。
気をそらすことで衝動のまま悪い選択をすることを防ぐ方法です。
例えばパチンコ。
オープン前から並び夜遅くまでパチンコを打つ。その間ジャンクフードを食べ煙草をふかす。
それを防ぐ為に心と身体を別の事柄に向ける。

3つ目は自制心の使い過ぎに注意すること。
例えばダイエット・節約・禁煙。
これらを急に思い立って実行すると怒りっぽくなったり体調を崩したりします。
適度の食事と運動と睡眠。これが大事です。
そしてあまり完璧を追求し過ぎないことです。

4つ目は自制しない場合のデメリットをでっち上げること。
例えば経済的に苦しければ煙草を止める。
世の中に食事もせず煙草を吸う人はいません。尤も食費を削って喫煙することはあるでしょうが。
また『煙草を吸った瞬間に死んでしまう』と思えば敢えて吸おうとはしません。
経済的に苦しい或いは健康を害すると思えば煙草を吸わなくなります。

5つ目は不安を持つこと。
不安は自制の為の効果的な手段です。
凄く悪い方向に考えると悪い習慣を断ち切る事が出来ます。
例えば暴飲暴食すればどんどん肥満になります。
悪いイメージを膨らませると強烈な自制心が出来ます。
大きな仕事の失敗・大病・経済的困窮を経験するとそのイメージが残ります。
『自制しないとどんな結果になるか』を思い出すことで自制心が強くなります。

人間が生きる上での最低の条件は衣食住です。
往々にして自制心を失うのはお金に余裕が出来たりギャンブルで儲けたりした時です。
何らかの余裕が出た時に自制心を失いがちになります。

失敗には原因があります。
それを改善する為には自身の成長戦略を立てる必要がありますが、それを実行に移す際 重要になるのが
自制心です。
自制心が無ければ失敗を繰り返してしまうだけです。
これを機会に自己をコントロールするということについて考えてみて頂ければと思います。

忍耐

2013年9月17日 10:50 AM

本日は忍耐について話したいと思います。
忍耐とは『苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと』です。
仏教においては様々な苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶことを忍辱(にんにく)と いいます。
この忍辱の行を修することを忍辱波羅蜜と言い六波羅蜜の一つに数えられます。
私達が食べているニンニクの語源はここから来たと言われます。

忍耐というのは西洋古典世界の四元徳の一つです。
四元徳とは、一つは思慮、叡智。
二つは正義。
三つは忍耐、勇気。耐え忍ぶことは勇気とも言われます。
四つは節制です。

徳の反対が悪徳。
思慮の逆は愚昧。愚かな事三昧ということです。
正義の逆は無節操。流され易く哲学も無いこと。
忍耐の逆は臆病。
節制の逆は貪欲。何でも自分の好きなようにやって行く『自分さえ良ければ良い』という考えです。

正義と悪があれば中庸があります。
アリストテレスは徳と悪徳の間に中庸があり、人間の最上の状態は中庸において発揮されるとし
『中庸の徳』を説きました。

忍耐は何もしないことに通ずるという考えがあります。
しかし、じっと耐え忍んでいることは何もしていないのではありません。
いつか花咲く為に耐えているのです。
忍耐は辛い時を耐え忍び、それを糧に希望とか愛とか挑戦とか前向きなことをしていく為にするのです。

スポーツマンでも政治家でも企業家でも、自分が上手く行かない時にどういう風に将来への飛躍を考えるか。

目標が見えない時期こそ忍耐が必要です。 将来を思い描くことが出来ない時期をどう過ごすか。
そこを耐え忍べば目標が見えて来ます。
憎悪や怨恨はいけません。 それを乗り越え自分が思い描くように近付けて行くのです。

皆様もそういう時期はあるでしょうが、人間は生きていれば良い事はあります。
生きている限り手立てはあります。希望はあるのです。

やると言ったことはやる。
それが人生だと私は思います。

覚悟

2013年9月9日 11:12 AM

本日は覚悟について話したいと思います。
『覚悟する』『覚悟を決める』などといった使い方をしますが、覚悟の意味は1つには 『危険なこと、不利な
こと、困難なことを予想しそれを受けとめる心構えのこと』です。
仏教では『迷いを脱し真理を悟ること』。
そして3つ目の意味は『きたるべきつらい事態を避けられないものとして諦めること。 観念すること』です。

従って、覚悟とは悪い意味かというとそうでもなく、腹が据わるとか肝が据わるなど、 悪い事態になることを
躊躇せず物事を進めることの意味が有ります。

しかし覚悟を決めることは日常生活ではあまりありません。

覚悟の例として 吉田松陰の話をしたいと思います。
吉田松陰は1830年生まれ。斬首刑に処され30歳の若さで亡くなりました。
塾を作り高杉晋作や伊藤博文など明治時代に活躍した多くの人物を教育した思想家で あり教育者です。

吉田松陰の一日一言という本があり、その中に『不安と生きるか理想と死ぬか』という 言葉があります。

吉田松陰は死罪覚悟でペリー艦隊に乗り込み密入国をしようとしました。
それを断られ自首した後、長州の萩に幽閉されます。
そこで小さな塾(松下村塾)を開き多くの弟子をとりました。

彼は塾生とディベートをしたり山に登ったり釣りをしたりと行動的な人でした。
当時は清国がアヘン戦争に敗北しており、日本も欧米に負けないよう文明を高めて行か ねばならないと考えて
いました。

彼の言葉に『何事もならぬといふはなきものをならぬといふはなさぬなりけり』という ものがあります。
『何事も出来ないということはない。出来ないのはやらないからだ』という意味です。

吉田松陰は安政の大獄で捕まりました。
江戸に来て老中を暗殺しようとし、島流しにされそうになります。
『自分は老中を殺そうとしたのだから死刑が妥当だ』と言ったところ『刑罰を決めるの は幕府の仕事』と
井伊直弼の逆鱗に触れ打ち首にされました。

斬首刑に処される直前、彼は辞世の句を読んでいます。
弟子宛てのものは『身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』。
もう一つは家族宛て。 『親を思う心に勝る親心 けふのおとづれ何ときくらん』
これは弟子宛てのものと違いまことに親のことを切々とを想ったのでしょう。

吉田松陰は安政6年斬首刑に処されましたが、後に松陰の教えを受けた弟子達が明治を 担いました。
彼は日本の将来を考えに考えた人といえます。
死を覚悟して彼は黒船にて密入国し米国の文化を学ぼうとしました。

私自身は死以外は恐れていません。
損しても取り返せば良い。
やられたらやり返す。
やられるのは挑戦するからやられるのです。 これはいじめとは違います。
人には意地が有ります。 やられると『なにくそ』と思うものです。
人からやられたことが無いというのは挑戦していないからです。

この機会に吉田松陰の書物を読んでみるのも良いでしょう。
人生の中で時に覚悟が必要になることがあります。
150年前の若者の覚悟を知り我が身を振り返ってみて頂ければと思います。

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